はじめまして。サイフスコンサルティング株式会社 代表の穂滿(ほまん)と申します。
2級FP技能士、AFP、住宅ローンアドバイザー、日本証券業協会二種外務員資格、保険募集人資格等を保有しております。
岡山県浅口市出身の1978年4月2日生まれです。妻と小さな男の子2人の家族がおります。
趣味は料理と海外文化を学ぶことです。海外には、子供の頃から興味がありその国の料理や言語を調べたり、実際に海外の人と交流をしてお互いの文化を学ぶことが好きです。
私はファイナンシャルプランナーとして、ご家庭をお持ちの個人のお客様に「赤字にならずに、資産が自然と増えていく強固な家計を作るアドバイス」をお届けする事により、お金の心配事から解放された「心のゆとり」を提供しています。

このページでは、なぜ私が今の仕事を始めたのかをお伝えしていこうと思います。
時代の変化と共にお金の価値の変化を実感
私は15歳年上の姉と11歳年上の兄を持った、年齢の離れた次男として岡山県の南部、倉敷市の西隣に位置する町で生まれました。
大黒柱の父が43歳時点で生まれた私でしたが、当時の日本は高度経済成長期の直後でしたし、上場企業の管理職だった父からは教育費の心配はしなくて良いと言われ育ちました。父なりのライフプランはしっかり立てていたのだろうと思います。
しかしながら、私が私立の中高一貫の男子校に進学した事や、父自身が奨学金で進学をしたという過去もあり、私も負けじと高校、大学は奨学金を借入れしました。当時の父の話では、奨学金返済は、将来そんなに重荷になる事は無いだろう、という事でした。
でも父の時代と私の時代ではこの部分については大きな差異があったのです。父の場合、日本の高度経済成長の波に乗った右肩上がりの収入増加により、固定金利で借り入れた奨学金は、金額自体も少額となり返済の負担を殆ど感じなかったのです。ラッキーですよね?
私の場合はどうだったかと言いますと、バブル経済後の就職氷河期、失われた20年30年と呼ばれる時代に返済をしていた事になります。
リーマンショックの際に返済猶予を使った時期もあり、私には負担が大きかった様に感じます。この「奨学金」という全く同じ借金が、父と私で体感が違ったという経験は、ファイナンシャルプランニングを仕事にしたいと思うきっかけの一つとなりました。
ニューヨークの2つ星レストランで働く
大学では東京の青山学院大学に進学し、いつか自分で商売がしたいと経営学を学びました。
在学中よりホテル/レストラン業界で「パーソナルな顧客サービス」を追及しており、大学を卒業後もその道を選びました。
しばらくは日本で働いていましたが、「日本語だと日本人にしかサービスを提供できない。井の中の蛙にならず、世界を相手にしても通用するような顧客サービスを身につけたい!」と考え、その勢いのまま行き当たりばったりでニューヨークに渡りました。
その当時はほとんど英語は喋れなかったのですが、とにかく現地のレストランで働こうという気持ちで数十件の飛び込み営業をして自分を雇って欲しいと交渉を行いました。その結果、27歳の頃に1年間、米国の2つ星レストランでの勤務を経験することができたのです。

このレストランでの採用が決まるまでの訪問営業は、ひとつの成功体験として現在の仕事の原点となっています。また、2004年当時のニューヨークは非常に景気が良く、米国資本主義の強さを強烈に感じました。これら一連の出来事は、将来、金融業に興味を持つきっかけとなりました。
独立を考えるも、お金について何も知らない自分に愕然
そして、ニューヨークのレストランで勤務をした後、自分の飲食店を持って商売をするというかねてからの夢の実現を考え始めたところ、何から始めれば良いのか頭が真っ白になってしまいました。
事業資金はどのようにすれば有利に借りられるのか、借入が出来たとして、自分が倒れたら老後の父に債務が行ってしまうのか?資産運用等の方法も分からないし、私はお金の事を具体的に何も知らなかった、という事に愕然としたのです。
そこで私は、不足している金融の知識を自分で勉強しようと思い立ちました。幸い、独立したウェイターとしては仕事に困りませんでしたから、ケータリングや各国大使館での勤務で生活費をまかないながら証券外務員2種資格やAFP認定研修を取得したところ、外資系生命保険会社からリクルートの話が来たのです。

この頃には、過去の自分の様に殆ど金融知識のない顧客に、学んだ知識を伝える事でその顧客が豊かになる独立系FPという職業で独立しようと考え始めていました。
少し極端な例えかもしれませんが、「毎月5万円をただ貯金した場合は2,100万円にしからならないけど、同じ毎月5万円を8%の年複利で35年間運用出来たとすると1億円になる」という事を一人でも多くのお客様に実感として知ってもらいたい、その為には綿密なライフプランが必要不可欠であると知ってもらいたいと考える様になったのです。
私の求めていたパーソナルな顧客サービスという観点からも、非常にリンクしましたので、いくつかの生命保険会社を比較検討した結果、その外資系生命保険会社でコンサルタントとして修行させて頂く事にしました。
生命保険会社で働く中での葛藤
生命保険会社の営業マンの仕事ですから、自社の保険商品を買ってもらわなければ収入になりません。極端な表現をすると、他社と比較して有利な部分を強調し、不利な部分はオブラートに包んで説明するのが仕事です。
自社商品しか売れないので、収入を増やす為には自社商品を研究し、自分自身を売っていくのです。入社2年が経つ頃、自分の働いていた会社が別の外資系保険会社に吸収合併されることが決定し、会社の都合で取扱い商品がその合併先の商品となりました。
この変化を受けて私が考えたのは、「やはり、1つの会社の商品だけではなく、世の中に数多くある選択肢を比較した上でベストな選択ができるアドバイザーになりたい」ということです。
パーソナルな顧客サービスを追求
この様な紆余曲折を経ながら、独立してそろそろ12年目に入ろうとしています。学生時代より目指してきた「パーソナルな顧客サービス」が、ファイナンシャルプランニングという形でお客様に提供出来ている事は私のひとつの喜びです。
毎月のお給料が無くなるまで生活費に費やしていたご子様のいるお客様が、将来の支出を見越して毎月積立を始められる様になったり、住宅相談のお客様が、私のアドバイスにより住宅購入金額を決められ、自信を持って理想のマイホームを購入出来たり、そのご家族の赤ん坊だったお子様が3歳になりました!小学生になりました!という様なお話を、写真や映像と共におうかがいすると、ああ、この仕事をしていて良かったなと、と思います。
私はファイナンシャルプランニングのサービスを通して、一人でも多くの方々に、お金の知識とライフプランを持って頂き、「赤字にならずに、資産が自然と増えていく強固な家計」を実現して頂くためにアドバイスを行っていきたいと考えています。